ハイスペックなフリして便座が冷たいトイレは許せない。
綺麗な壁紙、掃除の行き届いた床、清潔感のある手洗い場、ウォシュレット機能あり、
しかし、便座の暖房機能がない。
そんなトイレをしばしば見かける。
座った瞬間、怒りが爆発する。
私は幼少期から、
『用を足す時は座ってするように』
という英才教育を受けている。
そのおかげで、今ではすっかり座ってする派で、大小関係なく、優劣なく、どんなトイレでも座って用を足す。
明らかに、形状から冷たさを醸し出している便座には、それなりの覚悟をもって座るので、憤りを感じることはない。
しかし、上記のようなハイスペックな雰囲気を演出しているにも関わらず、便座は冷たい。
この矛盾に、驚き、より冷たさを感じて、最終的には怒りに変わる。
『予想外の冷たさ』
これがより骨身に染みるのだ。
これは、
この荷物重いだろうなぁと予想して持つと、意外と軽く、グインっとなってしまう程に予想外。
飲みの席、とある話題で大盛り上がり。
『こりゃ、何を言ってもウケるぞ』という空気感の中、自分が発した一言で一気に笑いが消失する程に予想外。
裏切られた感が凄まじい。
まぁ、私も30年近く生きているので、大概の便座は冷たいか温かいか、瞬時に見た目で判断出来るようになっている。
なので基本的に、冷たいと思われる便座に座る際は、ケツ筋に力を込めてカチカチの状態にし、便座に一度に触れる表面積を最小限に抑えつつ座る。
もちろん温かいと確信した便座には、そんな小細工なしにドシンと座る。
このようにして、冷たい温かいを瞬時に見分け、適切な対処を行う。
しかし
問題はハイスペック風トイレ。
確かに、脳みそレベルでは一瞬迷う。
『これは、冷か…温か…』
しかし、猛烈な便意と、これまで培ってきた目利きへの奢りで、冷たい便座にドシンと座ってしまうことがある。
冷たさが全身を駆け巡る。
私のような肌ツヤの良い美尻は、熱伝導率がハンパなく、冷たさは心臓、脳を駆け巡り、精神的にも冷え込んでしまう。
最終的には、怒りを通り越して、落ち込む。
『トイレに騙された…』
『トイレに負け……………さびしいぃ…』
『自分はひとりぼっちだ…』
などと、自分が人生で獲得してきた方法論や人脈の全てが幻で、世の中の全ての事象や人間が、自分を祭り上げていただけなんだ。
昨日笑いながら話したあの人は、今日自分の事を一切考えていないんだ。
と思い馳せながら、ケツが温まるまで耐えるのだ。
これだから、冬は嫌だ。
世の中の嫌な出来事は、だいたい全て寂しさに行き着く。
せめて、
そんな寂しさに寄り添う温かい便座であってくれ。